AWDLP210-002
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人類と4戦略の原初形態について考える

 筆者はこれまでに基本となる4戦略や組織戦略についての説明を行ってきましたが、このような戦略形態が最初どのように発生し、どうやって発展して今私達が生きている高度で複雑な社会へと発展したのか考えることは意義深いでしょう。
  それはつまりゲームのプレイヤーである人類がどのように発展したのかを考えることに他なりませんが、しかし、ただ単に人類の発展だけを分析していたのでは、ただの人類学や歴史学となってしまいます。そこで、ここではゲーム理論の観点から人類の発展を分析しようと思います。
  敢えて名づけるならば、いわばゲーム理論史観とでもいうべきでしょう。

人類の誕生〜タカハトゲーム(狩猟採集)の時代
(紀元前二百万年〜一万年前ぐらいまで)

  J・メイナード・スミス氏が進化ゲーム理論について論じた著作では、最初にその最も原初的な進化ゲーム形態として相手を傷つけてでも資源であるエサを奪おうとするタカ(タカ派戦略)と、平等にエサを分け合おうとするハト(ハト派戦略)の組み合わせによるゲームモデルとしてタカハトゲームが挙げられています。
  動物における資源の奪い合いを説明する際は、このタカハトゲームだけで多くの説明がつくように、動物は最初タカハトゲームのようにタカ派かハト派だけでした。
  これはどうやらまだ社会が未発達である初期の人類にも当てはまるようで、その際男性が主にタカ派の役割を、そして女性がハト派の役割を受け持っていました。
  つまり、タカ派戦略を担当する男性は、頻繁に自らの住むコミュニティの外に出て狩猟や漁労を行って貴重なタンパク源を手に入れたり、時にはエサ場を争って他部族と抗争を行って自らのコミュニティを守ります。
  一方でハト派戦略を担当していたのは女性で、コミュニティの内部で子育てや料理などを行いました。男女共に採集行為を行っていたようですが、その際他のコミュニティと縄張り争いが発生した場合には前述した通り戦いを行う(タカ派戦略)男性達の出番となったでしょう。
  それでは次にこの期間の人類がブルジョワ戦略を行っていたかどうかについて考えてみましょう。
  その際、鍵となるのが当時の社会の食糧事情と当時のコミュニティの特徴です。
  原初時代の最高の資源は彼らの生命維持に必要な食物でしたが、しかし、狩猟採集の方法では生産力が乏しくその保存技術が十分とは言えませんでした。
  ブルジョワ戦略、つまり経済活動はまず最初に資源の余剰が前提として存在しています。生死に関わる限られた食料を奪い合うのであれば、それはブルジョワ戦略ではなくタカ派戦略行為です、それゆえに資源が十分でない狩猟採集時代にはブルジョワ戦略は発展しようがなかったのです。
  また、当時のコミュニティは数十人という小規模の組織単位の血族集団であり、今でいう近親婚が普通に行われていたといいます。そのような皆が親戚であるコミュニティの絆の強い血縁社会では食糧などの資源は全てその集団の共有財産となっていたと考えられます。つまりは組織でハト派戦略として資源を共有していたのです。
  ゆえに、このような血縁社会内では経済関係が殆ど成り立っていなかったようです。
  しかしながら血縁関係の無い他コミュニティとの間には縄張りを巡る戦いだけでなく交易(ブルジョワ戦略)が成り立っていたようで、南方でしか採取できないはずの貝殻が北方で発掘されたり、火打石などの一部地域でしか手に入れることが出来ない様々な物品が多くの人の手に渡って遠くに運ばれたことが判明しています。
  その際交易に用いられたのが、互いの地域などの特産品や余剰物品を交換し合う、いわゆる物々交換のかたちでした。
  続いて人類の発生から狩猟採集期間における聖者戦略について考えてみましょう。
  人類の聖者戦略の萌芽は埋葬の習慣より始まって、祭儀としての壁画、狩猟採集を行っていた動物や魚、森や川に超自然の人格や力が宿っているとして信仰するアニミズムや霊験あらたかな人間に神が乗り移ると信じられたシャーマニズムなどが存在します。
  このような聖者戦略の形式は筆者が定義づけた聖者戦略と比べると非常に未発達ではありますが、自分自身や自分のコミュニティ以外の偉大な存在を信じ、その世界を信仰するという考えは、間違いなく聖者戦略の萌芽となる考え方でしょうし、なかには現在のキリスト教における神父などの独身制に通じる、そのような儀式を司る人物の両性具有の性質(男性であるのに女装などを行うなど。子孫を敢えて残さなかった場合も存在したでしょう)等も確認されています。
  ちなみに狩猟採集の時代において人類は自然に対して畏怖の念を抱き、超自然的な力を持って自然の神々と交信することのできる祭儀を行う役割の人物は尊敬され、狩猟採集で手に入れた食物は自然の神々に一度捧げて、それをコミュニティ内で神の贈り物として分かち合う(ハト派戦略)という、いわば聖者戦略を経由するハト派戦略の形式でした(ちなみに、狩猟採集時代の神から人へという食物分配の伝統は、今でも仏壇へのお供え等の形で残っています)。
  それゆえに狩猟採集におけるコミュニティの統率者は聖者戦略の原型とも言える司祭としての役割を同時に担っていました。
  そして、この時期のシャーマンは医術者を兼ねていたとされており、ここに狩猟採集時代における分業の初期形態が存在しているともいえます。
  ちなみに狩猟採集時代の人類は貧しかったという固定観念が存在していますが、それは誤りで、環境に恵まれた地域などでは、ある人類学者の計算によれば、家族の3日分の食事を手に入れる為には女性が6時間ほどの労働を行うだけで十分だったのだといいます。
  しかし、狩猟採集社会には重大な弱点が2つ存在しました。
  一つは周囲に食料がなくなったり、蛋白源である猛禽類が移動するたびに移住を繰り返さなければならなかったこと、もう一つは、生産効率が低く一つのコミュニティ辺りの生存可能人数が低かったことです。
  これはコミュニティの人口増を妨げ、同時に老人や病人を置き去りにしてしまうような事態や、乗り物の存在しない時代に移動の邪魔となった赤ん坊を殺す間引きを発生させたようです。
  事実姥捨てなどの行為は農耕時代に入っても行われていた習慣であり、人類の歴史の化石と言われている狩猟採集時代とほぼ変化の無い生活を営んでいる部族集落では習慣として、間引き(子殺し)が行われていました。

ブルジョワ戦略(農耕)の誕生(新石器時代紀元前1万年頃〜)

  こうした人類の転換期は農耕でした。
  農耕や牧畜を定義づけるならば自然に存在する資源(植物や動物)を自らで管理し、栽培育成してより沢山の穀物や野菜・果物、家畜の肉や乳、毛等の資源を手に入れようとする行為です。
  まさに資源を元手により沢山の資源を手に入れようとする行為であり、ブルジョワ戦略の典型ともいえます。
  ちなみに農耕それ自体は決して人間だけの専売特許と言う訳でなく、例えばアリなどの高度な組織社会を持っている昆虫等にも稀に存在していますが、思考を司る脳の発達していない人間以外の生き物の身体構造ではそれ以上に社会を発展させることができませんでした。
  農耕が人類に始まった原因については諸説あり、未だに議論の題材となっているようですが、どうやら農耕それ自体は農耕が誕生したといわれる紀元前8000年よりずっと以前から人間によって自然に、無意識で行われていたようです。
  それがどういうことかと言いますと、つまり採集などを行っていた人々が遠くから手に入れた木の実や果樹、穀物などを住居となるコミュニティに運んで来た際、それが地面にこぼれることは度々あったでしょう。
  その木の実や果樹、穀物がそこに芽を出して植生することがあれば、結果として彼らは食事の材料となる植物を自分たちのコミュニティの近くに植生したことになります。
  とはいえ、狩猟採集時代のコミュニティでは周辺に狩りの対象となる動物や採集の対象となる植物が少なくなれば別の場所に移住するのが普通でしたので、彼らがその半ば無意識に植生した植物を採集していた可能性は少ないでしょう。
  そして、これが決定的証拠と言えるでしょうが、現在世界各地で散見される食糧に恵まれた狩猟採集を行う部族の間では、その後入り込んだ探検隊や学者などによって農耕の知識を手に入れても、開墾などの労力が必要で常に畑に気を使い続けなければいけない農耕を行おうとはせず、短期間でコミュニティ全員の食糧を手に入れられ、十分な余暇を味わえるそれまで通りの狩猟採集生活を行っていたと言います。
  このような人類に農耕を余儀なくさせたファクターは、この時期温暖化によって地球を覆っていた氷河時代が終焉し氷河が少なくなっていくにつれて、各地から水に恵まれた地域や緑地面積、獲物となる動物の数が少なくなったこと、そして同時にポピュレーションインクリースによって人類が徐々に狩猟採集を行うに充分な土地と食糧を得ることができなくなったことだと考えられています。
 こうして人類は恵まれた狩猟採集生活を維持することが困難となり、農耕をせざるを得なくなったと考えられています。

  事実発掘された農耕が始まったばかりの人類の化石には開墾などの日々の肉体労働の為に骨格異常の跡が存在しています。
  このようにして止むを得ず発生した農耕ですが、農耕には多くのメリットが存在していました。
  その第一は保存食料です。当然ながら狩猟採集時代もある程度の保存食料が存在していたでしょうが、農耕を行うようになると、当然ながら小麦や稲などの最も保存に適した食糧を何より先に栽培することになります。そして、畑の管理を行うことによって動物の群れを追うことが出来なくなった人類は開墾作業の為もあって牧畜を同時に行うようになりましたが、この家畜自体が普段は栄養価の高い乳を、そして非常時には肉を、そして死しては毛皮を残す生きた食糧倉庫となりました。

  そして第二は定住化です。畑を耕し管理する為に行われた定住化は、狩猟採集時代度重なる移住の為に行われた移動の邪魔となる乳児の間引きや、けが人や病人、老人を捨て去るという行為を少なくしました。食糧さえ手に入れば彼らを養うことが出来ます。
  そして第三は面積当たりの人口増です。農耕によって比較的小さな畑などで多くの食糧を手に入れることが出来るようになった人類には狩猟採集時代には既に飽和していた一千万人以下という人口から増加する余地が生まれました。
  こうして人類は農耕によって世代を経るごとに人口を増加させていきます。
  一度開墾して農地としてしまった土地を狩猟採集用の土地に戻すことは不可能で、人口の増えた世代が別の場所に住んだとしても、以前住んでいたより恵まれた場所に暮らすことが出来たとは考えづらいですし、周囲には既に開墾した畑が存在していたりもしていて狩猟採集生活に戻ることは出来なかったでしょう。
 人口増加した農耕民は、加速的にどんどん広がっていきます。
 ちなみに農耕には治水や灌漑の為の大がかりな人手や優れた器具、そして正確な気象予測や定住化によって発生しやすくなった疫病への対処など様々な必要性が生まれてきます。
  このような中で灌漑や治水を統治する統率者が生まれ、農耕による食糧の余剰のおかげで可能になった分化社会(組織戦略)が発生しました。
  農耕社会で生まれた統率者は何よりまず優れた農耕技術者だったことでしょう。彼はその技術によってコミュニティで最も沢山の穀物や家畜を手に入れて、その資源を農耕がうまく出来なかったコミュニティに分け与え、治水や灌漑を指揮することで指導者としての地位や権力を手に入れていったことでしょう。
  一方で分化社会ですが、狩猟採集時代でも、例えば石器づくりや家作りなどに長けた人々、石器の原料となる様々な鉱石の採集に長けた人々は存在していたでしょうが、彼らは得意な仕事だけでなく狩猟や採集にも従事しなければいけませんでした。先祖や動物などの霊媒となり、呪術的医療を行ったシャーマンですら多くのコミュニティでは狩猟採集を行っていたと言います。
  しかし計画的な余剰食糧を確保しておける農耕社会では彼らは自らのサービスと交換に食糧を手に入れることが出来るようになったのです。職業(組織戦略)の誕生です。その際、農耕社会で生き残ることが可能になった経験と知識の貯蔵庫である老人がその発展に貢献したのは言うまでもありません。
  こうして組織力と高度な文明を手に入れた農耕民は狩猟採集民を吸収あるいは支配しながら広がっていきます。
  その際、勇猛な狩猟民は農耕社会における戦士の役割を担うようになったり、遊牧を営んで遠い距離を行き来していた人々は交易を担うようになるなど更に分化が進んで行きました。

統治者のブルジョワ戦略と国家の発展

  こうして様々に分化した組織戦略と、そして彼らに支払う食糧やその生産方法である農耕の管理者である統治者はついには様々な組織戦略を行う人々を集めた都市を起点として、ついに国家を誕生させます。
  国家創建の際に注目に値するのはその礎となった税という制度です。
  この税という制度にはダブルミーニング(二重の意味)が存在します。
  一つはコミュニティ内における資源の分配というハト派戦略という意味での税です。主に税の対象となった食糧や衣服の材料となる布は、直接食糧生産は行わない国家における様々な組織戦略を行う人々(神官や官僚、軍隊、警察、技術者など)へ再配分されました。  この手に入れた資源の再配分という行為は先に説明した通りコミュニティの長によって神に捧げた食糧を皆で分け合うという形で狩猟採集時代から行われており、この役割は農耕時代の統率者にも引き継がれました。
  そして二つ目の要素は統治者にとってのブルジョワ戦略であるという意味です。統治者やその一族が自らの権限を強めていく中で利己的に税の何割かを個人の財産としたり、完全に自らの為に税制を用いることは全ての古代国家で行われていました。
  事実歴史上、統治者たちはピラミッドなど人々の健やかな暮らしとは関係のない統治者個人の栄華や保身の為に税として労力を用いています。
  税の徴収が統治者の管理していた軍隊などの軍事力を背景としていたことを考えると、二つ目の意味での税はタカ派戦略であるといえないこともありませんが、重要なのはその発想です。
  それはつまり、この際統治者にとって税を取得する対象は農耕における植物と同様だったのです。増やしてうまく管理することによって多くの実りを手に入れるというその発想はまさにブルジョワ戦略の起源たる農耕にその発想が存在しています。
  穀物や家畜を管理して増やすことによってやがて国家を誕生させた人々は、今度はそのコミュニティの食糧生産者をコミュニティの一員と同時に穀物や家畜と同様に扱うようになったのです。
  ちなみに、このような行為が行われた原因の一つとして私有財産制が挙げられます。狩猟採集時代の固い血縁で結ばれたコミュニティは農耕を行っていくにつれて血縁組織から田畑単位での土地を中心とした組織に変化します。その社会では職業の分化に従って軍隊や交易者、商人、技術者など様々な人々が行き来していく中で血縁性が薄れていきます。  こうして血縁性の薄れた社会では食糧などの資源はコミュニティで分配する公共財産ではなく、家族という限られたコミュニティだけの私有財産として扱うようになるのです。
  このような考え方は、没落した農民や田畑を持たない狩猟採集民などを食糧の分配と引き換えに家畜と同様に使役する、いわゆる奴隷制という支配形式の原因となりました。
  ちなみに私有財産化の進んだコミュニティ内では財産の共有が無くなり、その代わりに商業取引(ブルジョワ戦略)が活発化しました。
  ちなみに、この時期になるとその取引の際流通したのは狩猟採集時代の交易で用いられた物々交換という方法ではなく、麦や稲、塩等の持ち運びに便利で、かつ誰でもが欲しがる、いわゆる物品貨幣でした。
  これは必要から応じた方法で、都市や人口の多い農村などでは生産した食料や物品をひとところに集めて交換を行う商人のような職業がごく自然に発生したでしょうが、その際人々が誰も交換したがらない物品を持ち込んだとしても商人はそれに応じなかったでしょう。
  そのような古代の商業取引で現在の貨幣と同じような価値、つまりは何とでも交換を行えるような万能な価値を認められた物品(資源)が現在の研究では物品貨幣と呼ばれているのです。
  ちなみに家畜や私有財産制の際に説明した奴隷は、麦や稲、塩と同様に物品貨幣としての価値を認められていました。
  金や銀も当時流通していた物品貨幣の一つでした。砂の中に存在し、その輝きから装飾品として愛され、同時にその魅力から霊が宿ると信じられていた金や銀は物品貨幣の一つとして取り扱われていましたが、無機質であるがゆえの保存性もあってやがて流通量が増えるに従って物品貨幣の代表を占めるようになって行きました。
  そして青銅や鉄などを手に入れる為に鉱業の技術を発達させて金銀を生成することに成功すると、国家の支配者は鉱山を直轄支配し、公的な交換の媒体として金銀を基にした貨幣を流通させます。
  これにより、貨幣を流通させる統治者は、価値そのものを生み出し、同時にそれを分配することで揺るぎない地位を手にすることが出来るようになり、同時に唯一の価値である貨幣が市場に流通することで、市場経済における税の徴収が容易となりました。
  交易や商業行為を全て貨幣のゲームとするならば、統治者は謂わばゲームの管理者としての安定した地位と役割を得ることに成功したのです。
 当然ながら貨幣の流通には莫大な金銀が必要となり、国家はその後金銀の不足に悩み、それが世界をも動かしていくことになります。
  ところでこうして貨幣が生まれると、今度は貨幣を増やそうとする様々なブルジョワ戦略が本格的に登場することになり、このような中で様々なブルジョワ戦略の形態が活発化していきました。
  本格的な銀行などの金融組織が生まれるのは近代以降になってからですが、この時期には既に貨幣を預ったり、一般人だけでなく交易人などに貨幣を利息付きで貸与する金融組織の原型が出来上がっていたと言います。

農耕社会と国家の生み出した弊害―画期的聖者戦略の誕生

  このように農耕社会とそれに続く国家は人口の増加や職業の誕生、あらゆる技術や文化の発達という華々しい成果と同時に多くの弊害をも生み出しました。
  例えば先ほど説明を行った税という制度がその一つで、古代中国の宗教家孔氏の足跡を綴った『論語』では、山奥に隠れ住む住民が虎に襲われ、孔子がそれならば人の多い場所に住めばいいと言った所、そこにいては重税を取られてしまう。重税は虎より恐ろしいと答えたと言う「苛政は虎よりも猛なり」という有名な言葉が残されています。
  古代国家の統治者は狩猟採集時代におけるコミュニティの長のように、すべからく神の子孫だとか使いだとか媒介者というような祭祀上の役割を担っていましたが(聖者戦略)、欲求の抑制というゲーム理論における意味での聖者戦略が徹底されませんでした。
  更に人間に進化以前の人間ではなくまだ動物だった時代から本能的に存在していたタカ派戦略本能の結果、狩猟採集時代から部族といったコミュニティ同士の闘争は存在していましたが、このような闘争は文明の発達の結果さらに悲惨な結果を呼び起こし、武器の発達が死者を増やしました。
  もちろん国家が出来あがるまでも、農耕村落同士の争いは絶えなかったでしょうし、国家の誕生はその意味で最も有力な支配者を中心に地域の安定を図った安定戦略として捉えることも出来ます。
  しかしながら国家の発生は更に他地域に発生した国家との間の土地や金属の採掘箇所などの様々な資源を巡る新たな争い、戦争を生み出しました。
  更に私有財産制度が定着するにしたがって資産を持たなかったり失ってしまった人々に食糧や住居を与える代わりに、家畜のように使役売買の対象とした奴隷制度や、国家統治の結果生まれた身分制度が人々を苦しめました。
  更に統治者も始終その地位を巡る様々な争いに悩まされました。
  事実中国やギリシャに顕著ですが、古代国家の成立と衰退の歴史は戦争と暗殺の歴史だったとも言えます(乾杯という習慣は古代ギリシャを起源としていると記憶していますが、この時乾杯をする人々がグラスをあわせる理由はそもそも激しくグラスをあわせることでグラスの液体を攪拌し、毒物が混入していないことを証明する為だそうです)。
  このように国家の発展に伴い人類の不幸が顕在化していく中で、正しい人間の在り方を模索していく人々が登場していきます。
  思想家カール・ヤスパースは紀元前500年頃を中心として、インドではウパニシャッドや釈迦、ジャイナ教(植物を踏むことさえ禁じたという極端なエコロジーの元祖とも言える宗教ですが、『タカ派戦略の歴史的発展』で説明する行き過ぎたタカ派主義に対するアンチテーゼとして特記に値するでしょう)が誕生し、イランではゾロアスター教が生まれ、中国では孔子等の諸子百家が様々な生き方を説き、ヨーロッパではソクラテス、プラトン、アリストテレスたちが活躍した数百年の期間を世界的に精神革命が起こった『枢軸時代』と定義付けていますが、それからキリスト教(1世紀頃)にイスラム教(7世紀頃)、キリスト教の父教となったユダヤ教(前14世紀頃)の誕生を含めて現在において人生の指針として支持されている主な様々の思想・宗教が世界で誕生していきました。
  そしてこの時代に生まれた思潮の特徴は、既に統治者と癒着し、支配正当化の為、自らの権威を高めようとして形骸化していた儀礼や信仰とは異なり、支配権力とは一線を画し(イスラム教はやや政治、国家型の宗教です)、人間が個人としていかに自らの欲望から離脱し、他者と共に生きていくかという思索が追求されていたという点です。
  そして何より、支配者たちの手によって自ら十字架に架けられた思想家であるキリストを信仰したキリスト教に顕著ですが、司祭などには生涯独身でいる義務が課せられるなどゲーム理論における聖者戦略の在り方が明瞭に示されているのです。
  このような思潮は当初弾圧を受けながらも凄まじい支持でその勢力を広げ、やがては統治者たちもその教えを受け入れざるを得なくなり、その結果として、自らの欲望と闘いながら独身生活を行う聖職者たちよりなる教会や修道院などが国家に保護されていきます。
  この一連の出来事は、すばわち自らの欲望を抑えて利他行為を行う聖者戦略が事実や体系を伴って確立され、それが国家において認められた、すなわち組織戦略として確立したという事実を示しています。
  筆者が説明したゲーム理論の4戦略の構造がこの時代を経て明確になったと言えるのです。
  こうして確立された4戦略と組織戦略は様々な紆余曲折を経ながら発展し、私達の時代へと受け継がれることになります。

歴史における諸戦略の発展

 ここまで原始社会から組織戦略やブルジョワ戦略、聖者戦略の誕生と確立までのシミュレーションを行いましたが、各戦略ごとにおさらいを行うと同時に、その後から現在までの各戦略の発展を分析してみましょう。

タカ派戦略の歴史的発展

 植物などの例外を除けば、あらゆる生命は自らの生存の為に他者を犠牲にしているといえます。
 例えば動物から昆虫、果てはバクテリアなどの細菌類まで普遍的に観察される食べるという行為にしろ、他の生命を殺傷して自らの生命として取り込んでいるのです。
 そういう点でいえばほとんどの生命は自らの生命維持の為にタカ派戦略を行っていると言えます。
  そういう点でタカ派戦略は生命にとって最も根源的な戦略と言えるでしょう。
  当然ながら人類も太古から現在まで自らの生存の為に動物や魚介類を殺して食べる行為を行っています。植物を食べることだって植物の生命を一部あるいは全て殺傷していると言えます。広義ではこれらの行為は全てタカ派戦略と言えるでしょう。
  更に、人間は古代からコミュニティ同士で猟場や住居などの土地や、時には女性などを巡って、主に生物学上の特質からタカ派戦略行動を行いやすい(3章、男性戦略と女性戦略を参照)男性同士で争いを行っていました。
  このような縄張りや異性を巡る争いは人間でなくとも、例えば哺乳類の動物などにはしばしば観察される光景ですが、人間が他の哺乳類動物と異なるのは、争いが文明の発展と共に国家単位やあるいはそれ以上の大きな規模と進化した武器でたくさんの死傷者を生みながら行われてきたという点です。
  まず戦闘の規模ですが、狩猟採集時代には数十人のコミュニティ同士で行われていた狩猟場等を巡る小規模な争いは、農耕社会の発展により治水などの大規模な工事の必要性に伴って生まれた国家によって、農耕に必要となる広大な領土や金鉱などの鉱山、敵対国家の財産を狙って数千人から数万人、数十万人へと国家の発展と人口増にしたがって兵士数を拡大し、人類史上最大規模の戦いである第二次世界大戦では連合国と日本を含めた枢軸国の間で文字通り世界を二分した戦闘が行われ、戦死者だけで数千万人以上、未だに正確な数値が判明していないといいます。
  更に文明発達と共に進んだ軍事技術の発展は戦術の在り方や死傷者を急速に増やしました。
  原始時代における軍事的大発明は弓だと言われています。旧石器時代、投げ槍に続いて発明された弓矢は遠くから凶暴な、あるいは人間よりも大きな猛獣を狩猟することを可能にした利器であり、人間同士の争いにも使われ、その後も弓は改良を行いながら銃器が中遠距離の標準武器となる17世紀ほどまで広く用いられました。
 また、人類によって最も早く家畜化された動物の1つであるウマと、紀元前3000年頃に発明されたとされる車輪は馬車を生みだし、高速で長距離を移動することを可能にしましたが、戦争の際には戦車となってその威力を発揮するようになります。
  続いて戦争における致死率を高め、夥しい戦死者を生み出すことになったのは鉄器です。鉄は精錬技術の発達していなかった古代では隕石の鉄(隕鉄)が一部で使用されていましたが、土器の作成によって進歩を始めた溶鉱技術や、火打石等の採掘から培った鉱山技術によって、銅や青銅に続いて生まれました。
  鉄の特徴は、その切れ味と頑丈さで、この金属によって多くの古代国家が各地で統一を成し遂げることができるようになりましたが、その反面鉄の武器を用いた集団戦は凄惨を極めるようになり、聖者戦略における革命の時代を生み出す原因ともなりました。
  鉄に続いて戦争における革命となったのは火薬の発明です。
  中国で発明され、11世紀ごろより歴史に登場する火薬はその後改良を重ね、14世紀には大砲や銃が登場するようになり、遠方から確実に人間を殺傷することが出来るようになってしまいます。
  ノーベル賞で有名なノーベルによるニトログリセリンの発明などで更に進化を遂げた火薬は、その後戦争における主要武器の座を獲得し、第一次・二次世界大戦、そして現在まで(戦争以外でも銃の所持が認められているアメリカ等では射殺事件などで沢山の被害者が生まれています)数え切れないほどの犠牲を生み出し続けているのです。
  そして、ついに登場したのが核兵器です。アインシュタインがあらゆる物質にエネルギーが存在すると発表した後に、物質の最小単位である原子からエネルギーが発生することが、ついでウランにおいて連鎖的な核分裂反応が発生し、多くのエネルギーを得られる事が確認されました。
  その後、特定のウランでは急激な核分裂が発生し、凄まじい威力の爆弾となり得る事が研究され、こうして原子爆弾が生まれたのです。
  その後、原子爆弾は唯一の被爆国である日本の広島・長崎に投下され、多くの死者と重い後遺症を残しました。
  そして、その後も核兵器の開発は進められ、中性子爆弾や水素爆弾など様々な核兵器が開発されました。
  その後のアメリカとソ連の冷戦を通して、今では人類を、そして地球の生態系までもを何度でも完全に破壊してしまえるような数の核兵器が世界各地で配備されています。
  そして現在ではその一度使われれば連鎖反応的に世界を滅亡させてしまう威力のある核兵器が逆に抑止力となって世界の平和を守っているという皮肉な結果を生んでいます。
 このように人類に凄惨な結果を呼び起こしているタカ派戦略ですが、タカ派戦略の要素には重要な面もあります。文明や個々の人間の進歩自体が様々な競争と、その競争に勝っていこう、負けたくないという勝利欲や、「好きなあの子をどうしても振り向かせたい」というような、案外単純な性本能に支えられているのです。
 核兵器を搭載し世界各国を睨むロケットの技術、そして核兵器を作成する軍事技術も、使い方によっては宇宙開発など人類の未来の為に必要な技術となりえます。
  今を生きる我々には自らのタカ派戦略本能を自覚しつつその本能と上手に付き合い、他者を犠牲にしない形で建設的にタカ派戦略を実行する必要があるでしょう。

ハト派戦略の歴史的発展

 人類におけるハト派戦略の発展に関しては楽観的な記述をするのは難しいと言わざるを得ない面があります。
  牧歌的とも言えるようなハト派戦略がコミュニティで行われていた狩猟採集時代から農耕社会へと変化を遂げるようになってからほんの数百年前までは、資源を均等にコミュニティの成員で分け与えるというハト派戦略の発想はほとんど全くと言っていいほど進歩しなかったような印象さえあるのです。
 それでは何故ハト派戦略思考が希薄だったのでしょうか?それには2つの理由があると考えられます。
 その1つは狩猟採集から農耕社会に移行したおかげで生まれた男尊女卑の社会構成です。
 原始社会では採集を行う女性は時として狩猟を行う男性より多くの収穫を得ることもあるなど、食糧取得者としても重要な存在で、コミュニティ内でも必然的に高い地位にあったと考えられますが、治水を行ったり畑を耕すなどの大変な肉体労働が必要となる農耕社会では徐々にその社会的必要性や地位が下がっていったと考えられます。
 3章の女性戦略の項目や人類と4戦略の原初形態の項で説明したように、女性は長期間に限られた子供しか産むことができず、それゆえに男性と比べると同性での争いが少ないという生物学上の特質ゆえ、武器を手にして獲物や、時には人間同士で争いを行い、主にタカ派戦略を担当していた男性とは異なり、コミュニティ内で協調しながら子育てを行うなどの原始コミュニティにおけるハト派戦略を担当していたと考えられます。
  このハト派戦略の担い手である女性の地位が長きにわたって低下することで人類におけるハト派戦略の発展が停滞してしまったと考えられます。
  2つ目は文明の発達の段階で情報文明が発達しておらずそのおかげで発生した格差社会の固定化が挙げられます。このような格差社会では、支配者は一部の特権階級で構成されたコミュニティの情報しか持たない為、農民や奴隷からどれだけ生産物や労働力などの資源を絞りとっても構わないという考え方が容易に発生してしまうでしょう。
 一方で虐げられる立場にある人たちはその状況を打開する手段はもちろん、ひょっとしたら自身が少数の利益の為に過酷な暮らしを強いられているということさえ気づかないかもしれません。
 それを象徴するのが例えばインドのカースト制度で、異なるカーストの間で身分差別が行われたばかりでなく恋愛や結婚さえもが禁じられているような制度がつい最近まで続けられていました。
  このような身分格差制度は中世日本でも士農工商という形で行われています。
  一方コーカソイド(白人)社会でも奴隷制度はもちろん、ネグロイド(黒人)を奴隷に使役することはもちろん、その命さえ簡単に奪っていたような社会が続いていました。
  このようなことから今では中世社会は暗黒の時代とさえ呼ばれています。
  ところで、食糧や物資、金銭などの資源を社会や国家で共同に分け合おうという考え方が実行に移されようとしたのは16世紀頃、国家の支配力が弱まって資本主義社会が確立され始めた時期で(詳しくは次項目のブルジョワ戦略を参照)、都市に流入して労働不能となった人々の生活を保障したイギリスの救貧法がその始まりであると言われています。
 このような社会保障は資本家と労働者達の争いやナチスドイツの優生法に基づく国家が人々を虐殺する悲惨な事件などの試練を経ながらゆっくりと成長を続けていきながら現在の社会保障の原型を形作っていきますが、それでも例えば人間には生きる権利があるという当たり前の事実を保障する生存権が憲法に明記されるようになったのは20世紀に入ってからですし、日本で生存権が明記されたのは第二次世界大戦が終了してからです。
  とはいえ、ハト派戦略が人類において全く進歩しなかった、あるいは後退したと考えるのは必ずしも正しいとは思えません。
 世界各国で農耕社会で生まれた搾取の構造や暗黒時代の為に狩猟採集時代の平等社会が懐かしまれる傾向が存在するのは事実で、例えばルソーの『自然に還れ』という言葉には当時における支配者階級を批判し、狩猟採集の皆で資源を平等に分け合うユートピア社会への回帰の意が込められています。
 しかし、ルソーの発言には多分に誇張や憧憬が含まれているようにも感じます。
 というのも、狩猟採集時代のコミュニティにおける平等社会は血縁集団の遺伝子的な団結に支えられていたのであり、これを農耕時代の様々な氏族や民族がコミュニティを成した時代と比べるのは正解とは思えないからです。
 どういうことかと言いますと、ルソーが懐かしんだ狩猟採集の平等社会の様々なコミュニティを農耕社会のように様々な民族が混住する環境に投げ出したら、事態はその暗黒の時代より更に悪化したかもしれないということです。
 つまりは血縁者以外のいわゆる他人に対する平等な資源の分配という発想が狩猟採集のコミュニティに存在したかどうかは疑問だということです。
 一方で古代農耕社会などである8世紀頃に日本で制定された律令にも制度化はされていないものの、貧困者の救済が法律で義務付けられています。
  現在では先進国を中心として老後の生活を保障する年金制度や生活手段を失った人々を救済する生活保護などがまだ完全とは言えないまでも幅広く行われ、ようやく社会保障の1つの完成形でもあるといえるベーシックインカムの議論が公然と行われるようになっています。
  もちろんこのような生活保障は文明の発達と人々の労苦によって生まれた余剰資源が前提であることを忘れてはいけないでしょう。
  ここまで国家というコミュニティにおけるハト派戦略の歴史的発展について説明を行いましたが、国家間における協調を目指しては、第一次世界大戦後の反省から1920年に各国の代表からなる国際連盟が生まれました。
  その後、国際連盟は第二次世界大戦を止めることが出来なかったという過ちをしてはしまいますが、国際連合と名称を変え、大国中心主義などの問題を抱えつつも現在まで各国の友好や平和、人権の尊重、経済における平等などの活動を行っています。

ブルジョワ戦略の歴史的発展

  血縁性社会である数十人程度の小さなコミュニティで狩猟採集生活を営み、そこで得た食糧を平等に分かち合っていた原始社会では経済関係がほとんど成立せず、ブルジョワ戦略と言えるような行為は自らのコミュニティで余剰のある貝や鉱石、装飾品などを他部族の物品と交換する原始的な物々交換が行われているだけでした。
 しかし、農耕文明ではそれまでの血縁集団によるコミュニティが土地単位でのコミュニティに変化し、そこに多くの人々が行き来していく中で血縁性社会が徐々に崩壊し、手に入れた食糧をコミュニティで分け合う習慣が無くなる代わりに交易や貸し借り、商売などのブルジョワ戦略行為が活発化しました。
  農耕社会における豊かな余剰食糧が分化社会を生んで商人という職業(組織戦略)の誕生を可能にしたのも一つの理由です。
 一方で農耕社会の支配者は農耕を行う発想で植物から穀物を手に入れるように農耕を行う人々から穀物などの税を手に入れていましたが、市場の発展と共に、やがて無機質であるがゆえの保存性の高さから最もポピュラーな物品貨幣となった金や銀の採掘権を独占して貨幣を流通させるようになり、マネーゲームを中心としたブルジョワ戦略はますます活気づいていきます。
 ここまでが人類と4戦略の原初形態について考えるで説明した原初におけるブルジョワ戦略のまとめです。
 ところで社会的分化によって生まれた商人には特徴がありました。それは、貨幣による流通を司る彼らは土地に縛られた農民とは異なり、主に情報文化の発達した都市に住み、交易などでは多国間を行き来することも珍しくなかった為、早くから国家の支配権力から自由な地位を勝ち得ていたことです。
 11世紀のヨーロッパでは既に、ブルジョワ戦略を専門で行う商人達は貨幣地代だけを領主たちに支払う以外はほとんど税や支配を受けない自治都市を形成しています。
 こうした商人の地位は、新たな交易ルートや交易品、そしてその備蓄が国家の盛衰までもを左右した金・銀を求めて世界中に航路が開拓され、貿易が活発化した15世紀初頭から17世紀前半までの、いわゆる大航海時代になって更に高まりました。
 ちなみに、今の銀行の形態の銀行が生まれたのは、この15世紀頃で、私達に現在お馴染みの紙幣は、盗難などの危険がある為銀行に預けられた金の引き換え証明書であるというのがその起源です。
 更に15世紀半ばに発明された活版印刷技術のおかげで都市部を中心とした商工業者の文化力は更に高まり、ついにはイギリスで17世紀前半に起きたピューリタン革命に始まって、18世紀後半のフランスの名誉革命等で、ごく一部の支配者だけが強力な権力を手に入れていた君主政治が、裕福な商人達を中心とした市民によって打倒され、共和政が誕生し、その動きは世界各国に広まって、ロシアやアメリカ、日本等では19世紀の半ばに農奴制と士農工商制度が廃止されています。
 こうした一連の出来事が象徴するのは、この頃国家による人々への圧力が弱まって来た事です。
  これがどういうことかというと、もともと国家は土地を所有し、最初はそこで働く人々も自らの所有物のように使役させていましたが、人々の文化の発展と共にその支配体制を維持していくのが困難になり、次第に作物などの物品財政、そして最後には貨幣による税徴収だけへと支配形態を変化していかざるを得なくなったのです。
 こうした中で、支配者による圧政に代わって利潤を追求する資本家達が労働者を雇用し、ひたすらに利益を追求するようになる、ブルジョワ戦略を中心にした新たなる社会が生まれます。
  これが俗に言う資本主義社会です。
  この資本主義社会では、一部の資本家たちが資本(金銭や土地などの資源)を独占して、ブルジョワ戦略によって労働者を搾取するという弊害が起きます。
  更に産業革命等に成功した一部の国家が巨大な資本を武器として後進国を資本家が労働者を支配するようにブルジョワ戦略で支配していくという帝国主義を生み出していくのです。
  この帝国主義が二度の世界大戦を生み出し、その後その反省をもとに国家では一人ひとりの人権を尊重した民主主義が徹底され、社会福祉や社会保障などが強化されましたが、相変わらず人々は欲望のマネーゲームに明け暮れ、日本ではバブル経済、アメリカでもサブプライムローン問題等の実態なきマネーゲームが生み出す問題が発生しています。
 金はそれ単体では機能しません。人あっての金だということを私達は忘れてはいけないのです。
 いくら金を持っていても他者がいなければ金銭は価値を成さない、だから金よりもまずは個々の人間を尊重しなくてはいけないというという当たり前のことを私達は肝に銘じる必要があるでしょう。

聖者戦略の歴史的発展

 狩猟採集社会における自然を崇拝するアニミズムや、自然の神々と交信するシャーマニズムが人類における聖者戦略の原型ですが、農耕文明の発達に従って誕生した国家では、このような聖者戦略は一部の人々の支配や、重い税の徴収の正当化の為の道具として形骸化していき、更に鉄器などの発達で戦乱が悪化する世の中で、同時に文字文化の発達と蓄積のお陰で紀元前500年を中心とする数百年間に仏教や儒教、フィロソフィアなど、そしてその後にキリスト教(1世紀)、イスラム教(7世紀)と、今の思想の根幹ともなっている思想・宗教が誕生していく事は人類と4戦略の原初形態について考えるの項目で説明しました。
 こうして生まれた様々な思想潮流は様々な弾圧に遭いながらも世界各地に広まり根付いていきます。
  しかし、このようにして宗教が国家という組織に取り込まれるようになると、国家と癒着するようになり、新たなる問題が発生していきます。
  その一つは宗教紛争です。例えば当時の支配者たちに殺害されたイエス=キリストを信仰の対象とした万人への愛を掲げるキリスト教は、4世紀頃から各国の国教となっていきましたが、10世紀から16世紀までの永きに渡って、自らの欲求を抑制する為に争いとは無関係であるはずの教会が聖地エルサレムを目指して親戚のような宗教関係にあるイスラム教国家との間に戦争を起こし、教会の最高権力者である教皇自らがそれを宣言したのです。これが十字軍です。
 イスラム教国家にとっても聖地であるエルサレムを巡る紛争は現在も続いています。
 更にキリスト教の教会は13世紀頃から、国で定められたカトリック教会以外の宗教を信奉する、いわゆる異端者に対して裁判を行い、財産の没収や拷問、火炙りでの死刑など残虐な行為を行いました。その対象は異端者だけ止まらず、魔女として女性達を裁判にかけて殺害したり、当時の先進的な科学者たちの唱える説を、教会の権威を揺るがす危険思想だとして弾圧して科学の発展を遅らせました。
 更に教会は購入すれば罪が赦されるとして免罪符なるものを販売するなど腐敗が進み、後の宗教改革へとつながるわけですが、この腐敗とはつまり、聖者戦略を行うべき教会がそれに徹することができず、戦争や弾圧(タカ派戦略)、あるいは商売行為(ブルジョワ戦略)を行ってしまったことにあります。
  このような混迷の時代は現代まで続いており、宗教集団による残虐な殺人事件(タカ派戦略)、霊感商法や、葬式宗教となってしまった仏教(ブルジョワ戦略)など、その例には枚挙の暇がありません。
 一方で宗教裁判によって弾圧された科学が、今では例えば自分たちが元々はサル等の動物に過ぎなかったという事実を知ることで結果として自制する心を養う進化論という新たな聖者戦略を生み出しつつあるのも事実です。
 更に古来日本では武家などにおいて家督を継がない子息から一人が僧侶になり、子孫を残さない習慣(昔の仏教ではキリスト教とほぼ同様僧侶が子孫を残さないことが常識であり決まっていました)が存在しましたが、これは子供自身の望みと言うよりも父母や親戚による半ば強制であることが殆どで、言い方を変えれば僧侶になった子供は家族や親縁の生殖利益(家名)の為に子孫を残す権利を奪われた、つまり生きながらにして間引き、子殺しをされたとも言えるのです。

 科学の発展が奇跡の治癒や復活といったようなキリスト教の神秘を医学の進歩やDNA技術、万能細胞などでもはや可能としつつある今、文明の発展が全ての人々に子孫を残す権利が保護された新たなる聖者戦略の形を生み出す日はそう遠くないのかもしれません。

章の主な参考文献

『男と女』・ヴィックラー、・ザイプト著、日高俊隆監修、福井康雄・中島康弘訳(産業図書)

『貨幣・欲望・資本主義』佐伯啓思(新書館)

『結婚の起源』ヘレン・・フィッシャー著、井沢紘生・熊田清子訳(どうぶつ社)

『現代思想の冒険者たち11バタイユ―消尽―』湯浅博雄(講談社)

『交換の社会学―・ホーマンズの社会行動論』橋本茂(世界思想社)

『交換と権力社会過程の弁証法社会学』ピーター・・ブラウ著、間場寿一ほか訳(新曜社)

『図説お金の歴史全書』ジョナサン・ウィリアムズ編、湯浅赳男訳(東洋書林)

『資本主義世界の成立』藤瀬浩二著(ミネルヴァ書房)

『社会政策の歴史』小川喜一(有斐閣選書)

『宗教の理論』ジョルジュ・バタイユ著・湯浅博雄訳(筑摩書房)

『聖書』(日本聖書協会)

『世界軍事史』小沢郁朗(同成社)

『世界経済史』中村勝己(講談社)

『世界宗教史』ミルチア・エリアーデ著(筑摩書房)

『世界の社会保障』柴田嘉彦(新日本出版社)

『世界の大思想32―ヤスパース―歴史の起源と目標』カール・ヤスパース(河出書房新社)

『贈与論』マルセル・モース著、有地亨訳(勁草書房)

『日本社会政策史』風早 八十二(日本評論社)

『農耕の起源、ライフ人類100万年』ジョナサン・ノートン・レオナード著、タイムライフブックス編集部編、板橋礼子訳(タイムライフブックス)

『農耕の起源と人類の歴史』フィリップスミス著、戸沢充則監訳・河合信和訳(有斐閣選書)

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